合同会社中村屋 公式電子掲示板

合同会社中村屋代表社員(CEO)中村屋じょー衛門が記すBlog。弊社主催イベントやライブ告知中心に、じょー衛門の戯言などを綴ります。

2011/01/02(日) 21:09:00

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津守

前回の続きです。

今回は「長文」なので1ヶ所だけの説明です。

前回が気になる方はこちらをクリック下さい。
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(3)三宝線[大阪市電阪堺線]

・大正11(1922)年、「港南電気軌道」が、芦原橋(現在の大阪市浪速区)から戎島3丁目
(現在の堺市堺区)までの軌道敷設特許と鉄道事業免許の取得から始まる。

・大正12(1923)年、「港南電気軌道」が社名変更。新社名「阪堺電鉄」。

・大正14(1925)年着工。昭和2(1927)年に開業。

・この線は通称「新阪堺」と呼ばれていた。理由は、南海電鉄(現在の南海電気鉄道)の
 軌道線である「阪堺線」(現在の阪堺電気軌道阪堺線)があり「紛らわしい」から。

・昭和10(1935)年、当初の予定だった「芦原橋〜湊ノ浜」が開通。

・昭和9(1934)年の「室戸台風」の影響が甚大で、その復旧に前年収益の半分
 (約1億円強)を投入。その影響で、経営は逼迫されていた。

・日中戦争勃発後(昭和12年)、沿線地域にある「造船所」や「軍需工場」が活性化。
 労働者の旅客が急増。夏の潮干狩りや海水浴時期の賑わいも相まって経営状況が
 改善。

・しかし今度は「保有車両数の少なさ」が原因で、旅客の輸送力が追いつかず、
 何とか追いつかせようと車両を酷使した結果、車両事故が多発。
 昭和18(1943)年には「社会問題化」。

・大阪府警本部から「輸送業務改善命令」を出されたが、結局対応できなかった。
 昭和19(1944)年、大阪市に買収。阪堺電鉄の全事業を引継。

・昭和20(1945)年の「大阪大空襲」で、壊滅的な被害を受けて営業中止。

・戦後は「出島-湊ノ浜間」が廃止され、路線短縮で営業。
 夏の潮干狩りや海水浴時期の賑わいに加え、昭和31(1956)年に、
 住之江競走場(現:住之江競艇場)が開設されると、旅客が一気に増加。
 
・昭和43(1968)年、廃線となる。現在は「大阪市バス」が運行。
 原因は以下のとおり。
 ●大阪湾の海洋汚染→大浜海水浴場が閉鎖

 ●モータリゼーションの進展→大阪府道29号の交通渋滞緩和
  ※「府道29号」は、大阪市電阪堺線が走っている道路。

 ●隣接する堺市からの要望→大阪市議会で廃線決議。

※次は「(4)鶴見橋跨線橋」の説明です。
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