合同会社中村屋 公式電子掲示板

合同会社中村屋代表社員(CEO)中村屋じょー衛門が記すBlog。弊社主催イベントやライブ告知中心に、じょー衛門の戯言などを綴ります。

2011/01/02(日) 00:16:36

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津守

長々と「音楽談義」ばかりして、大変恐縮です。

以前、ちょこっとお話しした「まちあるき」のコース

説明(津守編)を「箇条書き」でお話しします。

本コースに興味を持たれて「実際行ってみたい!」と

いう方は、御連絡下さい(笑)。

まずは「2ヶ所」ご紹介♪

前回の紹介は、下記URLからご覧下さい。
http://nakamuraya.dtiblog.com/blog-entry-39.html
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(1)南海汐見橋線津守駅【集合・スタート地点】

・正式名称は「南海電鉄高野線汐見橋支線・津守駅」。

・「南海電鉄高野線汐見橋支線」は元々、南海電鉄の前身会社
 「高野鉄道」が、高野山にあった「杉(高野杉・吉野杉)」を
  木津川口に運送することを目的につくられた線。

・津守駅は「仮駅」として、大正2(1913)年に設置。
 のち、大正5年に人の乗降可能な駅(一般駅)に格上。

・後述(2)[大日本紡績株式会社津守工場]の最寄駅。
 多くの従業員を運んでいたと言われている。

・平成19(2007)年現在の調査では、一日の乗降者人数600人程度。
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(2)大日本紡績株式会社津守工場跡(現:西成高校・西成公園)

・「大日本紡績株式会社」は、現在の「ユニチカ株式会社」の前身。

・「大日本紡績株式会社」の前身は「尼崎紡績株式会社」。
  明治22(1889)年設立。

・明治40(1907)年「東洋紡織株式会社」と合併。
 「大日本紡績株式会社」へ。明治42(1909)年、新会社の
 「最新工場」として完成。

・ピーク時の労働者数は、4千人オーバー(男:766,女:3,548)。

・昭和18(1943)年、陸軍兵器補給廠(軍帽等を生産)。

・昭和20(1945)年1月・3月・6月の3回、大阪大空襲で被災。
 6月には死者4名(いずれも女性)。

・終戦時には、全工場施設の89%焼失。「復元不能工場」と判断。
 昭和21(1946)年、復元用の紡機修理と復旧用の建築資材生産の
 ために、再起動するが、昭和26(1951)年閉鎖・取壊。

・土地の一部は、大阪市に売却(津守下水処理場の敷地へ)。
 また一部は、昭和40(1965)年「ニチボーリバーサイドプール」を
 建設・開園。変型プール・児童プール、25mプールの計3面を持ち、
 同時に6,000人の収容能力を持ち、夜間照明、売店、食堂も完備。
 大阪市内の水泳利用者を狙ったものだが、昭和43(1968)年閉鎖。

ニチボーリバーサイドプール
ニチボーリバーサイドプール

※「西成区史」(1968)
  西成区市域編入四〇周年記念事業委員会より抜粋

・その後、昭和49(1974)年に「府立西成高等学校」が完成。
 昭和62(1987)年に「西成公園」が開園。現在に至る。
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ってなことで、今回はここまで♪

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